何も失いたくなかった。
でも、それは無理な話だった。何かを得るということは、最初から、何かを失うということだったんだ。


『影。』


「ぽぽ?」
急に聞こえ出した音に、ぱっと振り向く。そこにいたのは恋人の絢だった。
不思議そうな表情で、僕の顔を覗き込む。
「どうしたの、ぽぽ。さっきから呼んでたのに。」
「え…ああ、そう?ごめん、気づかなかった…。」
とりあえず、苦笑い。らしくないわね、と絢が笑う。
「ほら、行くよ、ぽぽ。早くしないとなくなっちゃうかもよ。」
そんなこと有り得ないと知りながらも、跳ねるように歩く絢の後をついて行く。
「何ていったって、限定リヴなんだから。」
絢がにっこり笑う。つられて、僕も笑う。

今から、5年か6年も前の話だ。僕と絢が中学に入学したばっかりの頃。
ドイツだかフランスだかの物好きな学者が、わざわざ日本でおかしな発明をした。
写真が新聞にのっていたので良く覚えている。白髭に丸メガネの、なんだか堅物そうなおじさんだった。
そんな学者の発明だ。どうせ新しい細菌だとか、古代の遺跡がどうだとか、そんな話だと思っていた。

でも違った。それは、とても小さくて。そして、とても愛らしい『生き物』だった。
いっそ『タイムマシン造りました。』の方がしっくり来たんじゃないかと、今でも思う。
だってこんなご時世だ。クローン批判、全国のお偉い人たちが口先を尖らせて笑っている。
そんな中で『人工生物』?僕は行き過ぎた映画の宣伝だと思った。

そんなニュースから、もう何年もたって。ほんの1ヶ月前の話だった。絢の口から、その『生き物』の名前を聞いたのは。
まさか大学生にもなって、と僕は思ったが、彼女は幼い子供のように顔をキラキラと輝かせながら僕に熱く語りかけてきたのだ。
「それでね、友達が飼ってるんだけどね、それがね、すごく可愛いの!!それでね、私も飼おうと思って…!!」
僕は過去の良くない思い出が頭をちらついて、とりあえず反対した。それが絢にとって良くないような気がしたから。
でも、彼女の瞳は屈しなかった。3時間程の説得の後、僕たちは2人でその『生き物』を飼うことを決めていた。
つまり、僕が説得されてしまったのだ。絢の勝ち誇った笑顔がいまだに忘れられない。

その『生き物』の名前は、『リヴリー』。無料配布されているミニペット。
名前の由来は知らないけれど、『親しみやすさ』を現すリヴァブルのもじりなんじゃないかと僕はひっそり思っている。
何で出来ているのか、どうやって造っているのかは、誰も知らない。正しく言えば、『今はもう、』誰も知らない。
何故なら開発者であるミュラー博士が、5年前に消息を絶っているからである。大きく新聞に載って、随分と話題になった。
それでも製造されつづけるリヴリー。当然だ。今現在、リヴリー人気は果てしない。
全国はもちろん全世界をめぐり、『1人1リヴ』とさえ言われているのだから。
まぁそうはいっても、それは机上の空論で。実際は1人で何匹ものリヴリーを飼っている人もたくさんいる。
リヴリーは虫を食べて、『dd』と呼ばれる宝石を排泄する。そこがまた、小さな子供、若い女性たちにもうけた所以なのだろう。
昔からペットの排泄物の世話を嫌がる人は多かったから。だからこそ、リヴリーの普及の速さは半端ではなかった。
リヴリーの総管理をしているのは、『リヴリーアイランド』という名の会社だった。都会の中心を少しはずした所に、大きなビルが建っていた。
そこではリヴリーのためのアイテムが販売されており、毎日リヴリー保持者で賑わっていた。
リヴリーのための品はすべてddでしか買うことが出来なかった。餌も、小物も、小屋も何もかも。
僕はそのシステムを聞いたとき、不思議でしょうがなかった。だって、それでは少しの利益も上がらないじゃないか。
そんなことを前絢に言ったら、「ぽぽったら、本当に夢がないのね。」と不満そうな顔をされてしまった。

リヴリーには、いくつかの種類があった。可愛らしいのも、綺麗なのも、強そうなのもあった。
それらはすべて形態が異なり、動き方も、様子も違っていた。しかし、それらはすべてリヴリーで。虫を食べ、ddを出した。
絢が選んだのは、ネズミみたいな『トビネ』というリヴリーだった。姿をみれば、なるほど、『トビネズミ』といわんばかりに跳ね回っている。
絢は相当悩んでいたようだったけれど、最終的な決断を悔いたことはなかったようだ。
僕が選んだのは、犬…?なのかな、『ブラックドッグ』というリヴリー。姿形は確かに犬なのだけれど、どうも犬とは呼びにくい。
生まれたてのそのリヴリーの全長は、4cm程度だったのだから仕方が無い。
絢はリヴリーに、『ティナ』と名づけた。彼女が好きな小説に出てきた、お姫様の名前だった。
僕は『影』という名前をつけた。ずっと昔読んだ絵本に出てきた、人の影を食べて生きるモンスターの名前だった。
「どうしてそんな名前つけるのよ。少しも可愛くないじゃない。」絢が膨れながら言った。
僕は「そうかなぁ。僕は可愛いと思うけどな。」といって笑い、その場を誤魔化した。

帰路、よっぽど嬉しかったのだろう、いつも僕の家によってから帰る絢が、まっすぐに家へと帰って行った。
僕は珍しい状況のなか、1人の帰路の懐かしさを味わった。
家の戸をあけて、まずリヴリーの入った箱を玄関に置いた。そして戸を閉め、鍵をかける。
箱を持ち上げ…といっても、とても小さな箱なので別に重くもなんともないのだが。リビングへ持っていく。
パソコンの電源を入れてから、冷蔵庫へ水を取りに行く。
1人暮らしを始めて2年。帰宅後の習慣として身についた動作には、少しの抵抗も無かった。
後は、いつもどおり孤独に朝を待てばいい。そうすればまた、戸を叩く騒がしい音とともに、絢の声が…。
「!」
カタカタと、箱が小さく揺れだした。
早速存在を忘れかけていた僕は、とりあえず椅子にすわり、箱を閉ざす紐に手をかけた。
箱が小刻みに揺れ続けるせいで、紐が解きにくい。
「まぁ、待てって。今だしてやっから。」自然と笑みがこぼれる。
無事紐を解いて箱を開けると、小さくて丸っこくて黒い生き物が僕を見上げた。
2秒ほどじっとみつめたあったあと、白い歯をみせてにっと笑った。
僕は驚いた。何に驚いたって、それが…リヴリーが、本当に生きてるってことに。
そんなこといったら絢に笑われそうだけど。
なんていうのかな。信じていたんだけど、それをさらに信じるっていうか。現実が、もっと現実になるっていうか。
上手く言い表せないのだけれど、本当に驚いたんだ。
それからだった。僕が、リヴリーを生き物として扱うようになったのは。
それまでは、「リヴリーの主成分は〜」とか、「きっと何かの化合物なんだから、分解光線をあててみれば薬品に戻る」とか言って、絢に殴られていたのに。
次の日の朝、僕の家の戸を叩いた絢がリヴリーを入れたカゴを荒々しく降るのをみて、「もっと丁寧に扱えよ。生き物なんだから。」と言ったら、笑われた。
「ぽぽったら、言ってることが全然違う。」気のせいか、ティナも笑っていた気がした。

それから、1ヶ月が経った。僕は、リヴリーを生き物以外の何とも考えられなくなっていた。
ティナも影も大きくなって、全長は8センチをこえていた。
『7cmを超えたリヴリーは、カゴから出して散歩に行っても大丈夫』だといわれているので、影は僕の胸ポケットに入っていた。
ちょこんと顔をだした影が、僕と目が合うたびににっと笑うのが可愛くて仕方が無い。
「うわ、やっぱり混んでるよ、リヴリーアイランド!!」
絢が悲鳴にも似た声をあげる。それでも、目前に控えた楽しみのせいか、歓喜の音も含んでいた。
よほど楽しみにしていたのだろう、心なしかお洒落をしていて、髪型もツインテールだった。
まわりを見渡しても、ツインテールにしている女の子が多い。
それもそのはず。今回限定配布されるリヴリーは、ツインテールのような位置にフワフワの耳があるのが可愛いと評判の『ピキ』。
つぶらな瞳と、トビネさながら跳ね回る様子がまた愛しく、リヴリーアイランドは若い女性たちで賑わっている。
僕はちょっと場違いな空気を感じながらも、たまに目があう男性客たちと苦笑いを交わした。
「ぽぽ、ぽぽはどうするの?」急に絢が話しかけてくる。
「え、何を?」
「何をって…ピキにするの?しないの?」
考えていなかった選択肢に、一瞬思考が停止する。影が、違う姿に…?
最近登場した新薬、ネオベルミン。それは、リヴリーを違うリヴリーにできるという奇跡の薬。
流石にその話を聞いたときは、僕の脳内を『主成分』という言葉が行き交ったものだったが…そんなのは、どうでもいいこと。
どうせ僕が使うことはないと思っていたから。
「ねぇ、しちゃいなよ。ピキ。可愛いじゃん。限定リヴなんだよ?」
僕に有無を言わさず、絢の説得が始まる。僕は1ヶ月前のことをぼんやりと思い出したりした。
そしてあの時と同じように、僕が説得される結果となった。
「いいじゃない。いい記念になるよ。薬代は、私がおごってあげるから。だって今日は、ぽぽの誕生日じゃない。」
その一言が決めてだった。僕は絢が僕の誕生日を覚えていてくれたのが嬉しくて、少し赤くなる。にっこり笑う絢には、逆らえない。

長い長い列に並びながら、僕はまた1ヶ月前のことを思い出していた。あれは確か、影がうちにきてから三日目の夜。
影の頭を撫でながら、僕は気づいた。自分の心が、ひどく安らいでいることに。
リヴリーには、マイナスの部分がない。虫という、『嫌なもの』を食べ、ddという『価値あるもの』を出す。
リヴリーは『可愛くて』、リヴリーを通じて『友達』をつくることも出来て。
連なる『良いこと』のあとに、『でも』とい否定文はつかない。
リヴリーは、まさに完璧な『生き物』だったんだ。見下ろせば、影がにっと笑う。つられて、僕もにっと笑う。
僕のことを一番理解してくれているような気がした。すべて認めて、笑ってくれている気がした。気のせいかも、知れないけれど。
それでも僕は、本当に安らいでいたんだ。絢といるときとはまた違う安らぎ。一人で居るのに、寂しくない感じ。
『心のよりどころ』、『家族の一員』、『癒しのペット』。
みんな色々な風にリヴリーを評価するけれど、僕はそのどれも違う気がしていた。
もっと、自分の近くにある気がしていた。むしろ、自分自身のような気さえもしていた。
そうだ、だって、自分自身になら僕が理解できて当然だもの。きっとそうだ。リヴリーは『僕』なんだ。
それが、僕の出した答えだった。

ついに僕の番が来た。目の前にあるのは、青い薬の入った丸底フラスコ。受付の女性は笑顔でリヴリーを投入しろと指示をする。
相当抵抗があったものの、みんなやっているのだから、と自分を納得させて影をフラスコに落とした。

すると薬が一瞬鮮やかな緑になり、フラスコから取り出した影は、浅黒いピンクのピキになっていた。

そのピキの、愛らしいことこの上なく。ガーゼで薬をふき取られてすぐ、僕の手の上で跳ね回った。
耳のフワフワがこそばゆい。僕は嬉しくなって、お礼をいおうと絢を探す。
だが、その列の群れの中に絢の姿はなく。
結局僕たちは別々に帰ることになった。
家のパソコンには、リヴリーアイランドからメールが届いていた。内容は、期間限定で売り出されるアイテムの紹介や、ピキについてだった。
画面に映し出されるピキを少しみつめてから、パソコンのまわりをピョンピョンと跳ね回る影に目をやる。
「お前の方が可愛いよ。」
そういうとぱっと目が合って、僕をみあげた影がにっと笑った気がした。
もちろん、ピキが『にっと』笑うはずないのだけれど…。
「やっぱりお前は影なんだな。」
僕もにっと笑ってみせる。僕はその時、『主成分』とは違う意味での『中身』を感じた。
それを人はきっと、『心』と呼ぶのだろう。

「ぽぽ?」
絢の声。はっとして振り向く。
「どうしたの?最近、ぼーっとしてること多いみたいだけど…」
絢が不安そうに僕の顔を覗き込む。その顔が悲しくて、僕は思いっきり笑顔をつくる。
「あー、大丈夫。ごめん、昨日あんまり寝てなくて…。」
昨晩は影とずっと遊んでいたから、とはとても恥ずかしくて言えない。
「その、レポートを仕上げてたから。」
「そう…なら、いいんだけど…」
絢は納得いかない様子で僕を見つめる。そんな絢が愛しくて。
「本当だよ。心配しないで。」
今度は自然に笑みがこぼれる。それをみてほっとしたように絢は笑う。
「うん。でも、あんまり無理しないでね。」
ちょうど予鈴が鳴って、僕たちは席をたった。
「講義、いかないと。」
「うん…」
「どうした?絢。」
「ちょっと…リヴが気になった。」
確かに。大学にいる間は面倒を見ることが出来ないから、僕も気になってはいた。
それでも日常生活はそれを上回り、結果として僕はここにいる。
「大丈夫だよ。餌はあげてきたんだろ?講義が終わったら、すぐに帰ればいいじゃん。」
僕の言葉に小さくうなづいた絢は、小走りでキャンパスに向かった。

家に帰ると、影はddを排泄していた。僕はそれを拾って、戸棚においてある専用の小さな箱に移した。
その後僕は椅子に座り、影の頭を人差し指の腹で2・3度撫でた。影が気持ちよさそうに目を細める。

それが可愛くて、僕もまた目を細めて笑う。指先でじゃれる影を見ていて飽きることは無い。
僕は影に黒く育てるための餌を与えたり、小屋を飾ってやったりをした。そうしてそのまま僕は眠ってしまった。
夢を見た。影の夢だった。でも、それは影の夢じゃなかった。それは、昔僕が読んだ絵本に出てきた影の夢だった。
あれはいつだったか。確か小学生のころ。図書室の隅のほう、手垢でよごれ、ブックカバーの擦り切れた一冊の本。
僕がその本を手にした理由はそう、表紙の絵の主人公がたまたま僕と同じ模様のマフラーをしていたからだった。
主人公の少年の名前は二コル。明るい茶の髪をした小さな男の子。
二コルは村で噂になっている、『影』と呼ばれる怪物に興味を持った。そうして、みんなが止めるのも聞かないで、1人森に入っていった。
そこで出会ったのは、大きくて、でも姿は見えないモンスター。二コルは影を食べられてしまう。
そして……そして…?そこで目が覚めた。
「…そして…どうするんだっけ…」
いやにすっきりした頭でも、全然その先が思い出せない。どうしてだろう。ふと、影をみる。すやすやと眠っている。
「…お前に聞いても、わかるはずないしな。」ふっと笑って、僕は大学に行く支度を始めた。

それからだった。そんな夢を、見てからだった。目に見えて、意識が飛ぶようになったのは。
「ぽぽ!!」
「!」
急に聞こえ出す絢の声、と、周囲のざわめき。
「何だよ。急に大きな声出して…」
「急に、じゃないわよ!さっきから何度も呼んでるのに!」
絢の様子から、それが嘘でないことを悟る。怒りながらも、彼女は不安そうに僕を見る。
「ねぇ、本当に大丈夫なの?絶対おかしいよ。今までこんなことなかったじゃない。」
絢が悲しそうな表情をするのは、辛い。だから僕はどうしても笑顔を造ってしまう。彼女にばれることは承知で。
「大丈夫…だよ。」
それでも、動揺は隠せない。昼下がり、絢と昼食を採っていた僕。何を話していた?何を食べていた?
何も思い出せないのだから。
「嘘。お願いだから、病院に行こう?私もついていくから。ぽぽ、顔色も悪いし…」
その瞳に涙をにじませる絢。もう嘘でも、大丈夫なんていえない。
「…うん。」

その会話から、たった2時間後のこと。たった2時間後のことなのに。絢の姿はどこにもなかった。
友人にきけば、講義が終わってすぐ顔色変えて家に帰って行ったという。
僕は少し不満に思いながら、これで病院に行かなくてもよくなったな、と1人胸を撫で下ろした。
家に帰ってすぐ、影のもとにいく。影は元気に跳ね回っている。僕はため息ひとつこぼして、椅子にすわりテーブルにもたれかかる。
「…絢、どうしたんだろ。絢らしくないよなー…約束破って、帰るなんて…」
影は僕を見つめて頭をかしげた。
「ん…大丈夫、お前はいつも通りだ。」
にっと笑ってみせる。その笑顔があまりに自然に構成されることに、僕はちょっとした脅威を覚えた。

『誰か』の前では笑えないのに。
やっぱり、影は僕なんだと再び思った。日を重ねるにつれて、影が僕に似てきている気もした。

次の日、絢は大学に来なかった。その次の日も、そのまた次の日も、絢は大学に来なかった。
いい加減心配になった僕は、絢の家をおとずれた。出迎えた両親が、泣きついて訴えてきた。
「絢が…絢が、部屋から出てこないのよ…」
僕は2階にあがり、絢の部屋の戸を2度叩く。返事は返ってこない。それでも僕はお構いなしに戸を開いた。
そこには、ミニテーブルによりかかり、リヴリーを見つめる絢の姿があった。その様子は明らかに異様である。
「絢…」
名を口にすれば、絢がゆっくり振り返る。
「…あ、ぽぽぉ…」
やつれたその表情に、一瞬背中が凍りつくかと思った。彼女と目が合わない。
「何してるんだよ、絢!学校にも行かないで…おばさんも、心配してるぞ…?」
強い口調で話す。それでも絢は上の空で。うんとか、わかってる、とかいいながら瞳はただ動き回るリヴリーを追っていた。
「絢、最近おかしいよ。…前だって、ほら、限定リヴのキャンペーンの時だって、1人で先に帰ったり…」
僕がそういいかけると、絢はふやけた呂律で、「えぇ…?あの時、私先に帰ったりなんかしてないよぉ?ぽぽが先に帰ったんじゃん…」などという。
「嘘だ。僕はあの時、同じ列の中をくまなく探したんだから。」
急に絢がクスクスと笑い出す。動きは鈍く、不自然なままだが。
「じゃあ、見つからないよ。」
「なんでだよ?」
「だって、私、新規リヴだったんだもん…」
「え…」
僕の身体を支えるこの床のどこかが、ピシリと音を立てた。ひび割れた。
「それ…じゃ、前のリヴは…?」
ティナは?そう聞けば、うつろな瞳でさらに遠くを見ながら言う。
「死んじゃったぁ…」
まるでそれが、当然のことのように。

リヴリーには、寿命というものがない。というか、まだ寿命で死んだ例が無い。でも、リヴリーは、とてもか弱い。
だから、乱暴に扱えば、すぐに死んでしまう。
そんなこと、彼女は知っていたはずだ。そして、彼女なら大切に育てたはずだ。そう、彼女なら。
彼女の視線の先を見る。そこにいたのは、あの日限定配布されたピキではなかった。他のリヴリーだった。
無数の墓石のなかを元気に動き回っていた。
「知ってる?ぽぽ。リヴリーってね、餌あげないと5日で死ぬんだよ。」
瞳はうつろなまま、顔は微笑を象る。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。彼女は生命を何よりも尊ぶ人だったはずのなのに。
6年前の冬の日、絢が飼っていたネコが死んだとき、彼女はあんなに泣いていたのに。あの、お姫様の名前のネコ。
見渡せばまだ、この部屋にも写真が飾ってある。
そして僕の心にも深く残っている。絢の泣き顔も。その涙を止めることも、咎めることも出来なかった自分の無力さも。
だから反対したんだ。絢が何か飼うことを。
だって生き物はいつか必ず、死んでしまうものだから。それで絢が悲しむのが嫌だったから。
なのに。あの時、あんなに泣いていたのに。絢は、『ティナ』が死んでも、泣かなかったていうのか?

墓石の数だけ『ティナ』が死んだのに、一度も泣かなかったっていうのか?…絢が?
そのときだった。ひとつの思想が心を廻った。それは恐ろしく、幻のように不確かな『現実』だった。

いつからだったか。僕も絢もおかしかったんだ。僕は意識が飛ぶようになり、絢は死について泣かなくなった。
朝、絢が迎えに来なくなった。僕たちは一緒に帰らなくなった。僕は帰宅してすぐ、パソコンをつけなくなった。水を飲まなくなった。
絢は、学校に行かなくなった。
そんなの、絢らしくない。ふと、少し前に絢に言われた言葉を思い出す。『ぽぽらしくない』。
そうだ。僕たちはだんだん僕たちじゃなくなってきている。僕たちは僕たちらしさを失ってきている。

いつから?いつからだ?1ヶ月前?1ヶ月前、何があった?僕と絢に、何があった…?
答えは、ひとつしかない。『リヴリーを飼い始めた。』
僕は、絢の身体を力いっぱい抱きしめた。絢の身体は冷たかった。絢は驚いたように僕の顔を見る。
僕は絢に優しく笑いかけて、そしてその涙を拭ってやった。すると、絢が久しぶりに人間らしく笑った。でも僕は、笑えなかった。
思い出してしまったから。ニコルと影の、その後を。

家に帰って、影の元にいく。そして見下ろす。すやすやと眠っていた。
「…」
何も言わず、そのまま部屋の明かりを消して自分もベッドにもぐりこんだ。それでも、目は開いたままだった。
しばらくして、暗闇のなかで瞬く青い光が見えた。影の瞳だった。
「…思い出したんだ。物語の、最後を。」
黒い身体の影は、闇に溶け込み、もう青い瞳しかみえなかった。その瞳が無邪気に瞬き続ける。
「ニコルは、何事もなかったように村に帰ってくる。」
村の子供たちは競うようにニコルに声をかけた。
『ねぇ、二コル。怪物はどんなだったの?怖くなかったの?』
『怖くなかったよ。怪物は、とても優しかったよ。』
『ねぇ、二コル。怪物は君の影を食べようとはしなかったの?』
『そんなこと、するわけないじゃないか。』
『ねぇ、二コル。今度僕も、怪物に会いに行こうかなぁ。』
『うん、そうすればいいんじゃないかな。』
『あれ、ニコル…』
『…何だい?』
『マフラーは、どうしたんだい?君、あんなに大切にしていたじゃないか。』
『…ああ、あれはね。怪物が食べてしまったんだよ。』
『え…』
『でも、平気さ、あんなもの。』
ニコルはぎこちなく笑った。

「でも、それは二コルなんかじゃなかったんだ。」
自然と涙が溢れてくる。真実が、怖くて。それでも、逃げてはいけないことがまた怖くて。
「影が食べたのは、目に見える影じゃなくて…目に見えない、ニコルのまわりにあったすべて。
 思い出とか、感情とか、そういう、大切なもの。ニコルの日常。」
影は瞬きを止めた。そして、そのまま瞳を閉じて、開かなくなった。するともう、影がどこにいるのかさえわからなくなった。
「影っていうのは、自分の一番近くにあるものだったんだ。一番大切なものだったんだ。…ニコル自身だったんだ…。」
流れ出る涙を止めようとしても、それはもう遅くて。僕にはもう自分の力では何も出来なくて。
「お前、食ったんだな、僕の影を…」
僕を。
暗闇の中、影がにっと笑った。あの、白い歯をみせて。それは、不思議の国のアリスにでてきたチェシャネコのようだった。
不思議の国、あの国の正体は夢。ああ、僕の目の前のすべても、夢だったら良かったのに。

5・6年前、ドイツだかフランスだかの物好きな学者が、自らが生み出した怪物に、影を食われた。
そうして怪物は、多くの影を求め、増殖し、人間の村にたどり着いた。
怪物たちは愛しい姿形をしていた。人間たちはみな怪物の虜になってしまった。
多くの人間たちが怪物を飼い始めた。日を重ねるにつれて、怪物はだんだんと飼い主に似ていった。
怪物たちは、人間の影を食べていたんだ。影という名の、すべてを。
そして怪物はー…



人間になった。



島名:誰もいない島/飼い主名:色モノのぽぽ/リヴリー名:影不味


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