『ココロ』 ――私は叫んだ。声にならない声で叫んだ。そっちに行ってはいけない、と。繰り返し、繰り返し、叫んだ。 彼女は、聞こえないふりをした。それが何故なのかは分からない。小さな4つの足で、少しずつ闇に向かって行った。 ――どうしてこんなことに。 * “彼女”を『動かせなく』なってから、三日がたっている。最初はただ某ネット系会社のミスだと思っていた。 しかし、学校で友人達に聞いてみたところ、そんなことはないという答えがいくつも返ってきた。つまるところ、私のパソコンが悪いのだ。 おかしいと思った。何故なら、私のパソコンは友人達のパソコンよりもずっと新しかったからだ。しかし、深くは考えなかった。 私にとってリヴリーというゲームの中の彼女は、ただのサイバーペットでしかなかった。他の飼い主達とのコミュニケーションをはかるための媒体、と言っても過言ではない。 しかし、そんなことも言っていられなくなった。パソコンに詳しい友人が、新手のウィルスではないかと言ってきたのだ。 私は焦った。今パソコンが使い物にならなくなるのはとても困る。サイトまわりが出来なくなるではないか。私は家路を急いだ。 * 家に帰り着いた私は、すぐにパソコンを立ち上げた。最新とはいえ、起動にかかる数十秒に苛立つ。 意味もなくマウスを動かした。完全ではないままインターネットを開き、画面が真っ白になった。私はもう一度立ち上げなおした。 ――まったく、何をしているんだか……。 そんなに焦ることではない、と私は麦茶を冷蔵庫から出してカップについだ。トクトクという音が、私の心を落ち着けさせた。 インターネットを開き、私はリヴリーアイランドにアクセスした。自分の島に行き着いた。 彼女は眠っていた。私はエンターキーを叩き、文字を打ち込んだ。 「あ、い、う、え、お」 私はブツブツとつぶやきながらキーを叩いた。目にかかる茶髪をかきあげ、エンターキーを押した。……何も起こらない。 彼女は眠ったままだ。声を発する気配はない。私は肩を落としてため息をついた。 その後も色々な言葉を打ってみたが、何も変わらなかった。更新しても変わらない。私は諦め、ページを閉じようとした。 そのとき、画面の十分の一くらいの大きさで、右上の部分が真っ黒になった。 「……え」 自然と声が漏れる。これではページが閉じられない。バツマークのあるべき場所にマウスを動かしても、 クリックすることは出来なかった。カチカチ、と空しい音が響くばかりである。 「なんで……」 私はパソコンに詳しいほうではないので、こんなときの対処法は知らなかった。意味もなく、眠る彼女をクリックした。 「――きら……」 彼女の名前を呼んだのは初めてだった。今まで呼ぶ必要もなかったのだ。彼女は“媒体”なのだから。 私はもうひとつ大きなため息をついて、画面を見つめた。――驚くべきことに、変化が起こった。 きらが動いたのである。彼女は4つの足をとてとてと動かし、丸い目で私を見つめた。……いや、そんなはずはない。きらは生き物ではないのだから。 しかし彼女は確かに私を見つめていた。黒くてクリクリとした目に、引き込まれそうになる。私は目を逸らした。 恐る恐る視線を画面に戻すと、映っていたのは私の島ではなく、GLLの中央広場だった。独特の電子音が飛び交う中、きらはゆっくりと広場を歩いていた。 「どうして勝手に……?」 私はマウスにもキーボードにも触れていない。どうして彼女が一人で歩いているのか、私には全く検討がつかなかった。 「パスクラ……?ウィルス……?」 どちらも違う。根拠があるわけではないが、本能的にそう思った。画面に目を移すと、すでに右半分が真っ黒に染まっていた。 リヴリーは黒くなる画面でもダークという技をかけたときのように姿を確認できたが、私は恐怖心に襲われた。 きらは、GLL城の前を歩いていた。スナイロユンクとミミマキムクネが話をしていた。 この子達の飼い主は、私が今どんな思いできら――桃色のラヴォクス――を見つめているのかわからないだろう。……わかるはずもないことだが。 城の次に現れた画面は、GLLのパークゲートだった。色んなリヴリーが一瞬で現れてはどこかへ消えてゆく。きらはどこへ行くつもりなのだろうか。私は滅多に来ないパークゲートを見渡した。もっとも、半分は真っ黒になっているので左側に映る部分しか見えないのだが。 「どこに行くつもり……?」 私はつぶやいた。 「どうして……。きら……」 なぜか涙が溢れた。恐怖心からではない。涙でぼやける画面で、きらは立ち止まった。そして、信じられないことに、彼女はしゃべったのである。 『あなたは何もわかってない』 そう言うと、彼女は次のパークにアクセスした。パークゲートからきらの姿が消えた。 私はしばらく呆然としていた。……しゃべったのだ。リヴリーが、私に。しゃべりかけたのだ。これはどういうことなんだ。真っ黒な染みはどんどん全体へと広がってゆく。 画面が変わった。私は息を呑んだ。 ……怪物の森。ここには10レベル以上のモンスターも生息している。きらをここに連れてきたことはなかった。 初代のリヴリーはよく連れてきたものだったが、私は戦うのが上手くないので、戦死させてしまったのだ。 「死ぬつもり……?」 私の問いかけに、きらは答えなかった。雷や投石の音が飛び交う中、じっと座っている。 何人かが何もしないきらを罵倒したが、それにさえ答えない。真っ黒になる部分が多くなり、私はきらをまだ黒くなっていない部分に移した。 他のリヴリーはすでに真っ黒な闇の中である。 『でかいのが来たぞ、逃げろ!』 漆黒のムシチョウがそれだけ言い残し、消えた。他のリヴリーたちも避難する。……きらだけを残して。私にとってもきらにとっても、それは死刑宣告のようなものだった。 現れたのは、14レベルのジョロウグモだった。たいして大きくはない。ジョロウグモは暗い画面内を徘徊した。きらにゆっくりと近付いてくる。 「きら!!」 私は叫んだ。言い知れようのない罪悪感にも似た気持ちが、私を叫ばせたのだ。 ジョロウグモが攻撃を始めた。一撃目はきらに当たった。一度もつけたことのない包帯が、彼女に巻きついている。 「きら……っ!!」 二撃目は、突然入ってきた小さなリヴリーに当たった。すぐにそのリヴリーは避難し、画面にはきらとジョロウグモだけが残された。 ――もどかしい。すぐにここからきらを避難させられたら……。黒に侵食されている画面を見つめて、私は拳を机に叩きつけた。その拳に涙が零れ落ちた。 三撃目がきらを襲った。白い包帯にピンク色の血がついたのが見えた。私はキーボードを引っ張り出して、声に出しながら文字をうった。 「きら……」 エンターキーを押しても何も表示されなかったが、構わない。 「お願いだから、逃げて……」 涙がとめどなく溢れ続ける。きらがこんなにも大切な存在だったなんて、初めて気づいた。 「ここで死んじゃったら、もうスノパにも行けなくなるのよ……? 皆に会えなくなっちゃうのよ……?」 スノーマウンテンパークでとてとてと歩くきらがふと頭をよぎった。いつもユキムグリに変身させていた、きら。そのときの色は、私のお気に入りだった。 「きら……」 四撃目がきらを襲った。あと一撃できらは……。 「きら……。……ごめんなさい」 エンターキーを押すと、画面が真っ黒になった。それと同時にジョロウグモが消え、桃色のラヴォクスだけが残った。 真っ黒な画面は、赤色へと変わっていく。私は怖くて吐き気を催した。 しかし、赤色はどんどん薄くなり、きらの桃色と同じ色になった。黒い目が相変らずクリクリと私を見つめている。 やがて桃色は白色へと変化し、見慣れた雪山とオーロラが表示された。――スノーマウンテンパーク。 今まで何度行ったか知れない、いつもの雪山。いつもと違うのは、きらしかいないところだった。 『あたしはここが好きよ』 電子音とともに、彼女が言った。 『でも、あなたはキライ』 そう言われてもしかたがないと思う。私は椅子の上で正座をした。 『あなたはあたしのことキライだから。だからあたしはあなたがキライ』 そうではない、と私はキーボードを打とうとしたが、やめた。今は彼女の言うことを聞くべきだ。 『でもね』 彼女はユキムグリに変身した。淡い桃色が、水色と白色の世界によく映える。 『あなたはさっき謝ってくれた』 私はこくりとうなずいた。 『だから、あたしはあなたのこと、ちょっとしかキライじゃなくなった』 くすり、と笑った。日本語が少し変だということは黙っていた。 『あなたにとってあたしはただのサイバーペットでしかないかもしれないけど』 ピッ、ピッ、と途切れ途切れに文字が紡がれる。 『ネットの世界であたしは“生きてる”から』 パークの風景が消え、再びきらだけになった。ユキムグリから、ラヴォクスへと戻る。 『――忘れないでね』 パンッ、という音とともに、画面が消えた。電源が切れたらしい。私はしばらく天井を仰いでいた。 涙はもう乾いていた。声を出さずに『きら』と呼んでみた。――我ながら、きれいな名前をつけたものだ。 * 奇跡の余韻にひたりながら、私は電源を入れなおした。リヴリーアイランドにアクセスし、自分の島へと向かう。 きらはいつもと変わらずに眠っていた。私はエンターキーを押して文字を打ち込んだ。 『皆に会いに行こう』 文字が消えて歩き出した彼女の目は、きらきらと輝いていた。 ――忘れないよ、きらの心。 ――忘れないよ、私の今の気持ち。 ……いつまでも、いつまでも。 島名:ジックラド/飼い主名:SayU/リヴリー名:KirA |