「おるすばんはおとなしく」



飼い主はボクを置いてGLL城の新聞会社に新聞を見に出掛けている。
けれどこの新聞会社もなかなかの蔵書揃いだという話で、どうせ新聞は飼い主しか閲覧できないのだし、ということでボクはホテルで大人しく留守番をすることにした。
 
 本当なら今日の夕方には帰ってくると言っていたのだけど、今朝方から降り始めた雨は次第に雨脚を強め、午後には土砂降りになっていた。
夕方にはどこかで土砂崩れが起きたとかでGLL城の門埋まってしまったらしいから、多分飼い主は足止めを食らっていて、今日は帰ってこない。

 ボクらは今この広くて古くて他のリヴリーと擦れ違うこともほとんどない、昔の大木を改築したというホテルに泊まっているのだけど、飼い主が帰ってこなくて暇を持て余したボクは、この大木を散策することにした。
 古い木だけあって、電灯は煌々と灯されているというのに天井の隅や廊下の奥がなんとなく暗いこのホテルでは、深夜にボクを誰かが見掛けたら絶対におばけと間違えると思う。
部屋をとっての飼い主の第一声が「お前ここに馴染み過ぎ」だったくらい、ボクはこの古いホテルにしっくりくる。例えば廊下の天井にボクと同じ種類のリヴリーが沢山ぶら下がっていても、全然違和感はないと思う。

 そんなコウモリがバサバサと跳ねているのだから、誰かに会えば絶対に吃驚させてしまう。
だから、このホテルが広さの割に一部屋一部屋が離れていて、お客さんも少ない(シーズンオフなのだろうか?)のは幸いだった。心置きなく散策が出来る。
 
 ボクは様々な絵画の掛けられている広間を眺め、多分貴人の寝室だったのだろうなあ、と思われるやっぱり広間のような空間を抜け、
何故か急に細くなっている廊下を見つけては潜り込み、思い掛けずガラス張りのテラスへ出、稲妻混じりの嵐の空を見上げて再び薄暗い廊下へ潜り、階段を上り、降り、地下への階段を覗き、西棟へ出て引き返し、東棟を覗いた。
 
 細い廊下の突き当たり、小さな扉がぽつんとあった。
 
 部屋番号も付いていないその部屋の扉は他の客室と比べて明らかに質素で小さく、ボクは首を傾げた。
ドアが小さい。でもボクならちょっと身を屈めれば頭がつかえることはないだろうけど人間の子供でも相当腰を屈めなくては入っては行けないだろうし、飼い主に至ってはどれだけ身を縮めてもちょっと潜れないんじゃないかと思うほど小さい。

 小型のリヴリー用なんだろうか、それとも階段下の収納倉庫みたいな小さな空間を生かした収納なんだろうか、と考えて、ボクはほとんど無意識にノブに手を伸ばした。
 
 今考えると、どうして扉を開こうと思ったのか解らない。
 
 ノブはすんなりと回り、鍵の掛かっていなかったらしい外開きの扉をボクは引き開けた。
 隙間から、小さな手、が。
「あっ、え? ご、ごめんね、ここキミの部屋だった?」
 ボクは慌ててそのボクとパキケと思われる手の主へと言った。ほんのわずかに金色が覗く。身長からして昨日か今日生まれたくらいの子供だろうか。
「あの…ごめんね、本当に」
 パキケの頭がわずかに揺れた。かぶりを振ったような動きだ。
 ボクはほっとして、身を屈めて顔を近付けた。
「ね、キミ。ひとり?」
 扉の隙間からちょっとだけ見えている金色が、こくんと頷くような動きを見せた。
「そっか。……お母さんとかお父さんは?」
 パキケがかぶりを振る。
「………飼い主を待ってるんだ」
「あれ、偶然だね。ボクも飼い主を待っているんだ。お留守番なんだよ」
 小さな手が、きゅっと握られた。金色が俯き、揺れる。
「……知ってる」
 ボクはかしゃ、と首を傾げた。
 
 ………あれ、ちょっと待って。
 なんだかこの子の声って、聞き覚えが。
 
「ね……ねえ、出てこない? 恥ずかしいの?」
 上擦った声が脳に直接に響いた。パキケは少し黙り、それからゆっくりと扉を押し開く。
 自分で出て来いと言ったくせに、ボクはなんだかその子を見るのが怖くて本当を言えばすぐに回れ右して逃げだしたかった。
 けれどボクの足は凍ったみたいに固まって、全然動いてくれなくて。
 
 扉が、開ききった。
 ボクは、声が出なかった。
 
 にこり、と微笑んだ大きな金色の眼に、淡い金色に、撫でた肩に、あの頃のボクよりも少し高い身長に。
 
「う…わあッ!」
 叫んだボクが飛び退こうとするよりも早く、その、生まれたばかりのボクにそっくりな(むしろこれはボクだ。色まで、あの日のボクだ)その子は手を伸ばした。ボクの背中にするりと手が滑る。
 視界がノイズを混ぜたみたいにざらざらと歪み揺れた。
「い、イヤだッ!」
 ボクはその子を振り払おうと飛びずさり、ボクをすり抜けていた手がするりと外へ抜けたのを見て踵を返して走り出した。後ろを振り向いてあの子が追い掛けてこないことを確認したかったけど、出来なかった。
 
 怖かったのだ。
 
 どこをどう走ったのかなんて憶えていない。なのにいつの間にかボクは最初に通った広間まで戻っていて、そこで小さな人影が柱の向こうからひょいと覗いたのを見て慌てて足を止めてくるりと踵を返した。
「おい、シンヤ!」
 逃げ出そうとしたボクを、聞き慣れた飼い主の声が呼ぶ。
 ボクはたたらを踏んで顧みた。
「だ……大紀!!」
「なにやってんだお前。どっかの子と鬼ごっこでもしてたのか?」
「お、鬼ごっこってゆーか」
「そんなことよりさあ、いやー参った参った。すっかり遅くなっちまったなー、土砂崩れで門埋まってさ。
全部は埋まってなかったから復旧はすぐだったんだけど、まだ崩れるかもっつってなかなか出発しなくてさ。外まだすっげえ降ってんぞ。さすがに雷は止ん……ってうお!?」

 濡れたコートを絞りながら言う大紀に、ボクは思いきり飛びついた。受け止め損ねて(当然だ)大紀はボクもろともひっくり返る。ドシッ、と高い天井に倒れる音が鈍く響いた。
「なっ、なんだシンヤ!? 重いッ!!」
「大紀大紀大紀!! こっ怖かったよーっ!!」
「な、なにが!? つか、どけ!」
 じたばたと暴れる大紀にぎゅうと抱き付いて、ボクはうわーん、と泣き声を上げた。大紀は困惑したようにボクの肩をぽんぽんと軽く叩く。
「なんだよシンヤ、どうしたんだ。聞いてやっから、まずどけ。部屋行こうぜ。着替えたいし」
「う、うん、ごめんね……」
「いいけど」
「す、凄く怖かったんだ。さっき」
「ボクがいて」
 ボクはぎくりと起こし掛けていた身体を強張らせた。兄さんの視線がボクの腹に釘付けだ。
 ボクはそろそろと視線を落とした。
 
 ポン、と、お腹が弱く叩かれた。
 
「だだだ、大紀……」
 ボクの声が笑えるほど震えた。大紀はごくり、と喉を鳴らし、腹を指差してボクを見上げた。
「シンヤ、お前、……今度はなに拾ったんだ?」
「あは、は………拾ったって、いうか」
 ごん、ともう一度腹が叩かれる。ボクは怖くてもうどうしていいか解らない。
「と、とにかく、出そう」
「えっ、やっヤダ!!」
「ヤダっつったって、入れとくわけにゃ行かねーだろ。なんだよ、かくれんぼしてる子供でも隠してたのか、お前」
 ボクは違う違うと首を振ったけど、大紀は構わず留め金を外しに掛かった。ボクは逃げたかったけれど身体の中に入っている『それ』は逃げたって一緒についてくるし、大体にしてボクはまた凍ったみたいに動けなくなって、大紀の邪魔をすることも出来なかった。
 ひょい、と大紀が背中を覗き込んだ。すっ、と伸びてきた白い手が、大紀の首に抱き付くのを、ボクは呆然と見つめた。
 
「ダイキ、おかえり」
 
 大紀の膝に乗り上がり、ぎゅっと抱き付いたパキケを抱き留めて、大紀は唖然としてその子を見た。
「し…信也………?」
「うん、ダイキ」
 大紀はボクを見上げる。大紀に抱き付いた『前のボク』は、大紀に倣うようにボクを見上げて不安げに眉を下げた。
「ダイキ」
「ど…どういうことだ……? なんで、お前…お前ら」
「どういうことって、ボクにもよく……」
「ダイキ? どうしたの」
 大紀がきょとんとした顔で見つめている『ボク』を見た。『ボク』は不安そうな顔で兄さんにしがみつく。
「置いていかないよね、もう」
「………信也」
「ちゃんと連れて行って、ボクを」
 ぎゅ、と抱き付く『ボク』の肩に手を置き、大紀が戸惑っている。今にもその手で小さな背中を抱き締めてしまいそうだ。
 それを見ながらボクはと言えばもうどうしようもなく泣きそうで、きっと大紀は『ボク』を抱き締めてしまうのだろうな、と思っていた。
 
 だって、大紀が本当に愛していた『ボク』だ。
 
 あれは『信也』だ。
 
 大紀が恐る恐る、という様子でボクを見上げた。両手は『ボク』の肩に置いたままだ。
「………しんや」
「うん」
「うん」
 ボクと『ボク』は同時に返事をした。大紀は『ボク』へと視線を落とし、腰が抜けたみたいに座り込んだまま、もう一度ボクを見上げて、ボクに向かって、
 
 そろそろと、両腕を、伸ばした。
 ───『ボク』を、しがみつかせたまま。
 
「シンヤ」
 ボクは動けなかった。
「シンヤ」
 息が出来ればいいのに、と思った。
「シンヤ、来いよ」
 息をひとつ吐けば、この呪縛は解けるのに、と、なんの根拠もなくボクはそう思った。
「シンヤ!」
 大紀の声がほんの少し震えていた。大紀も怖いのだ。抱き付いている『ボク』が、それを本物だと信じてしまいそうな、自分が。
「………あーあ、つまんないの」
 大紀の顔が歪んでもう一度ボクの名前を叫ぼうとしたそのとき、ぽつり、と本当につまらなそうな声で、『ボク』が言った。ちらり、とボクを上目遣いに見た金色の眼が意地の悪そうな光を浮かべ、にやりと笑う。
「間違えなかったね、キミの飼い主」
「………え」
 すう、と、大紀の腕の中から子供が消えた。
 ボクらは顔を見合わせどちらからともなくにじり寄って抱き合って、しばらく言葉もなく震えた。
 
 
 
 
 
「え? 幽霊ですか」
 翌朝になって、朝食を食べに出た食堂で昨夜の話をひとから聞いたもののようにちょっと脚色して話すと、困ったような苦笑を浮かべた給仕のミドリメトビネのおじさんはそうですか、と頷き声を顰めた。
「いや、実はですね、噂はあるんですよ」
「う、噂?」
「ええ。迷子を探しているとね、もうひとりその迷子の子がどこからともなく現れて、間違ってそのもうひとりの子の手を取ると迷子になった子はもう戻ってこない、という噂がですね」
 がったん、と椅子を鳴らして後ずさり青くなったボクらに、給仕のおじさんはははは、と明るく笑った。
「嘘ですよ、冗談冗談!」
「………へ?」
「幽霊などいませんよ。たしかにここは古い城を改造したものですが、この城はもともと旧時代の教皇の持ち物だったと言われているんです。信仰の場なんですよ。悪霊など住まうはずがありません」
「は…はあ……」
「ですから、ご安心を。怪談はホテルには付きものですが、当ホテルに関しては一切ございませんので」
 そうですか、と呟いたボクらに爽やかな笑顔を残し、給仕のおじさんは行ってしまった。大紀はボクと顔を見合わせて溜息を吐いて、水を飲み干した。
「………なあ、シンヤ」
「ん……?」
「実はさ、今日もオレ昨日の会社に行こうと思ってたんだけど、お前」
「一緒に行く! 絶対行く!! 何時間でも外で待ってる!!」
「うん、残るっつっても引っ張ってくつもりだった。……チェックアウトしちまおうぜ。この辺りの詮索はまた後ですればいいし」
「うん!」
 ボクはこくこくと頷いた。疲れた顔の大紀はボクに顔を近付けて声を潜める。
「次にこの辺りに来ても、ここのホテルは止めような」
 ひそひそと囁く大紀に、ボクは同じようにひそひそ声で「うん」と返した。
「このホテル、お客が少ないわけが解ったよ……」
「あー。信仰の場とか言うんなら、絶対カタコンベがあったはずだもんな」
 ボクらは揃って溜息を吐いた。
「怪談の宝庫に決まってんじゃねーか」
「お祈りする偉いお坊さんもいないんだしね」
「出まくりに決まってる」
 ボクらはもう一度溜息を吐いてぶるりとひとつ身震いし、チェックアウトのために荷物を掴んでフロントへと向かった。
 
 ふと、背後に視線を感じた気がして振り向いたけど、そこには誰もいなかった。
 
 シンヤ、と呼ぶ声にうん、と頷いて、ボクはもう振り返らずに急いでその場を去った。




島名:しんゃ島/リヴリー名:しんゃ/飼い主名:だぃき


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